今や現代芸術として注目されている切り絵。スイスらしい豊かな物語性や個性的な表現力をもつ、多数の切り絵作品を見ることができるのは、ペイ・ダンオー地方にある郷土資料館だけ。同地方での歴史や代表的な切り絵の先駆者が繰り広げる世界を覗いてみましょう。
ペイ・ダンオー地方(District du Pays-d’Enhaut)
11世紀以降グリュイエール伯の管理下に置かれ、同伯の財政破綻後のフリブール州とベルン州との共同統治を経て、18世紀以降は現在のフランス語圏ヴォー州に引き渡されました。フランス語で『上にある地方、高地』を意味するように、標高900~1000mの高地と2000m級の高い山々に囲まれており、特異な地形や自然環境から農業が盛んに営まれています。
また、スイス最大の熱気球国際大会の開催地で知られる、シャトーデー(Château-d’Oex)、巨匠画家バルテュスが晩年を過ごした山小屋「グラン・シャレー(Grand Chalet)」があるロシニエール(Rossiniere)、さらには、70年代に故ダイアナ妃が在籍していた学校があったルージュモン(Rougemont)などの村々が点在します。そのことから、農業だけでなく、王侯貴族や著名人、富裕階級向けの観光地としても注目を集める側面も持っています。
シャトーデー(Château-d’Oex)
その村々の一つで、フランス語で城(Château)、ケルト語で山麓、丘など(Ogo, Hochgau)を意味します。この村へ向かう途中で見えてくる小さい教会(Temple de Château-d’Oex)。この教会の歴史は古く、11世紀に監視塔として建てられたのがはじまり。14世紀の紛争の際に壊されたのち、プロテスタントの教会として生まれ変わり、今日もこの村にふさわしいランドマークとなって訪れる人たちを見守る役割を果たしています。
歴史と文化遺産が残る、郷土資料館
シャトーデーを訪れる人が必ず立ち寄る「ビュー・ペイ・ダンオー郷土資料館(Musée du Vieux Pays-d’Enhaut)」。1922年に設立し、当時の州知事が寄贈した4階建ての住宅を利用して、数多くの歴史資料や美術工芸品が展示されています。
まず、1階には同地域の歴史に関する展示と、当時の一般家庭の暮らしを再現したキッチンや鍛冶場。2階へ上がると中流階級のダイニングルーム、山小屋作りに使われた作業道具、州知事のオフィスなどが部屋で仕切られています。各フロアへ行く階段の途中には、農業道具や家具などが展示され、当時の人々の日常生活が垣間見ることができるでしょう。
そして、最上階の4階には、刺繍品やわら製品、その他道具類、ベッドルームなど。山に囲まれた地域環境での手工業と農業の結びつきは深く、厳冬時期に生計を立てるために簡単な道具類を用いて、家で作った貴重な民芸品が揃っています。
館内を隅から隅まで音声ガイド端末を聞いて回ると、いつの間にか時間が過ぎていることに気がつくかもしれません。
先駆者がつくる本物の宝物
3階の展示室では、スイスの切り絵の先駆者、ジャン・ヤコブ・ハウスヴィルト(Jean-Jacob Hauswirth)氏とルイ・ソージ(Louis Saugy)氏の60点を超えるオリジナル作品が壁のあちこちにぎっしりと飾られています。糊を使わずに作った一枚の切り絵や、別々に切り取られたパーツを組み合わせたデコパージュ(Découpage)、ビデオ映像など、他に類を見ない作品の数々が展示されています。
また、2階にも50点を超える地元アーティスト、ウルスラ(Ursula Astner)さんの作品展が開催されています。*5月20日〜10月末まで。
ハウスヴィルトが描く孤独の世界
同館の研究によれば、ハウスヴィルト氏は1809年にベルン州ザーネンランド(Saanenland)生まれ、少年時代をシメンタール(Simmenthal)で過ごし、その後はルージュモンからペイ・ダンオーへ移住。1847年には、同村への居住申請で許可が下りず、ピソ峡谷(Gorges du Pissot, La Torneresse)付近で孤独な極貧生活を送ったのち、1871年、62歳で無名のまま生涯を閉じています。
彼がこの世に残したものは切り絵だけ。生前の彼を知る人もいなければ、記録も残されていません。しかし、死後から1914年まで40年以上の年月が経ち、当時のヌーシャテル民族博物館の館長テオドール・ドラショ(Theodore Delachaux)氏によって、ようやく彼の独創的な世界観が現代に蘇りました。
彼の個性を特徴づけるゲート(門)の後ろには、自然や故郷の慣習に対しての愛情など、彼の心中を極めて精緻に表現した世界が存在します。
「ゲートは外部の侵入を防ぐという役割を持つと考えられている。ハウスヴィルトは内向的な性格で、他者との意思の疎通が困難だったであろうことが作品から見てとれる」と、同館の研究スタッフらは芸術心理学的に結論づけます。秘密の花園のようにゲートの奥へと広がっていく彼の独特な世界観が見る者を魅了させるのかもしれません。
3階の展示室では、1854年の初作である左右相称の切り絵から1871年の生前最後の遺作まで、現代絵画のデコパージュへと変わって行く様を追うことができるでしょう。
鮮やかな世界に生きたソージ
ハウスヴィルト氏とは全く別の人生を歩んだ、ルイ・ソージ(Louis Saugy)。明るく陽気な性格で、情景の創造において想像力の豊かな切り絵作者で知られています。
1871年、同氏はジェリニオ(Gérignoz)で農業を営む父と、学校で教師として働く母の間に生まれます。幼少時から両親を通じて、デザインや影絵の切抜きを学んだり、スペイン王家や将軍、女優と交流できる環境と機会にも恵まれていました。
32歳になった頃、ルージュモンで郵便配達人として働いていた際に招待された配達先の家で、初めてハウスヴィルト氏の切り絵と出会ったことがきっかけとなって、切り絵作家としての道へ進むことになります。40歳で出展したジュネーブ(Genève)の展覧会が評判となり、切り絵作家として認められるようになります。
彼の多くの作品には、農民が動物の群れを山の牧草地まで連れて行く様子がよく描かれ、その様子を花やハートの装飾で囲む独自のスタイルが特徴的です。また狩猟管理人が密猟者を叩いている様子や、様々な職人たちが取引をしている日常風景などが描かれており、鑑賞する人を目で楽しませてくれるので、面白みも増すことでしょう。
1853年の初め、ルージュモンで発生した火事の直後に他界、彼が残した創意に富んだ遺作の数々は、地域の発展にも大きく貢献し、世代を超えて地域アートを象徴するまでになりました。
自然から養う想像力や表現力
多くを語らない、独創的な心の世界を描くハウスヴィルト氏、そしてカラフルな色合いと独自の手法で見る人を微笑ませるソージ氏。どちらも、小さな先の尖ったハサミでパンや砂糖などの包装紙を切り取って、アルプスの暮らしに取り巻く人々や動物、当時の生活様式や習慣を見事に表現しています。
この土台となるのは、知識や技術、材料でなく、「自然」であることがいえるでしょう。自然から想像力や表現力を養うとともに、創造性をも豊かにさせてくれ、自然と共生する大切さに気がつかされます。
ジュネーブやモントルーなどの主要都市から移動に時間がかかるため、日本人観光客が立ち寄る主要観光地として、あまり紹介されていない隠れ家的な秘密スポットではありますが、ぜひスイスにお越しの際には、こちらを訪れてみてください。
<取材及び掲載協力・お問い合わせ >
Musée du Vieux Pays-d’Enhaut
Grand Rue 107, 1660 Château-d’Œx
026 924 65 20
www.musee-chateau-doex.ch
取材・撮影:Yuko Kamata
編集:Yuko Kamata, Midori Hijikata