エスター・ゲルバーさん ( 切り絵作家 )

 先月のコラムではフランス語圏ペイ・ダンオー地方にある郷土資料館(Musée du Vieux Pays-d’Enhaut)と、同地域で切り絵の先駆者たちが残した伝統工芸の数々をご紹介しました。

 今月のコラムでは、ドイツ語圏ベルン州(Bern)の小さな村で切り絵作家として活躍する、エスター・ゲルバーさん(Esther Gerber)にインタビューさせていただきました。

切り絵作家 エスター・ゲルバーさんについて

 ベルンから車で1時間、人口1,447人(2016年時点)の村、ローバッハ(Rohrbach)。緑が茂る小高い緩やかな丘と牧草地、その地をうねるようにゆっくりと走る各駅電車、点在する農家の木造住宅、そんなのどかでスイスらしい景観が広がります。

 この地で生まれ育ったスイス人のゲルバーさんは、切り絵経験26年のベテラン切り絵作家。約500人のメンバーから成るスイス切り絵友の会(Schweizer Verein Freunde des Scherenschnitts)の会員でもあります。

 現在、スイスで活躍する切り絵作家として、ベルンだけでなくルツェルン(Luzern)、オプヴァルデン準州(Obwalden)、ニトヴァルデン準州(Nidwalden)などの近郊の州からくる制作依頼に取り組む日々。そんな彼女の切り絵作家になるまでの道のりを探ります。

切り絵との出会いについて詳しく教えてください。

Q : 切り絵を始めたきっかけは何ですか?

 きっかけは母がやっていたから。小さい頃学校の美術の授業で最高得点6をとったときに、いつか切り絵作家になろうと思ったの。若くして結婚し、子供を4人生んで、家事や育児で忙しい日々を過ごしていたわ。

 でも、子供が大きくなった頃、自分の時間ができるようになったから、切り絵のコースに参加したり、有名な切り絵作家の講座に参加したりして、スケッチや下絵の大切さを学んだわ。

 「趣味」として家事・育児の合間に作成していた切り絵を本格的に始めたのは40歳の頃。そこから現在に至るまでの独創的な世界での作品作りが始まりました。

Q : どこで「絵の描き方」を習ったのですか?

 すべて母から学んだの。想像したものを実際に描くということは非常に重要なので、それを美術学校へ行かないで母から学べたことは、本当にラッキーだと思う。母が私にくれた最高の贈り物(ギフト)だわ。

Q : あなたにとって切り絵とは?

 メディテーションみたいなもの。切り絵をしている時は別世界へ行き、心を静めて無心になれる。当初は食後にテレビを見ながらしていたし、天気が良い日には外に持って出ては切っていたりしたわ。カッターだとデスクに座って作業しないといけないから、小さなハサミを使うと持ち運びに便利よ。

Q : 切り絵を通して伝えたいことは?

 私の切り絵は救い主(Heiland)みたいな役割かな。例えば、故郷を離れた海外に住むスイス人が私の切り絵を見たときに、スイス情緒のある景色を思い出して懐かしがったり、スイスはいい国だな〜と感じたりしてほしい。 

切り絵をされている方や、また興味のある方もいらっしゃるかと思います。その方々のためにも、お伺いさせていただきます。

Q : 切り絵作家として、いつも大事にしているもの/ことはありますか?

 「視力」、「ハサミ」、「描くこと」だけかな。特に「視力」が落ちてしまうと、「描くこと」や「ハサミ」を使った細かな作業ができなくなるので、健康管理は大切だと思う。

Q : 切り絵がこのレベルになるために何が必要でしょう?

 特にこれというものはないけど、ほぼ毎日絵を描いている。練習をすれば誰でもできるわ。

 という彼女に「間違えることもあるのか?」と尋ねると、「ほとんどない」というアッサリした答えに驚かされます。全ての切り絵はハンドスケッチした後、専用ハサミで手間のかかる切り抜き作業を行います。作業するときは完璧にこなし、ミスもほとんど出さない正確さを持っている人だということがわかります。

Q : 切り絵を仕上げるのにどのくらい時間がかかりますか?

 下絵を描いて専用ハサミで細かく切っていく単純な作業だけど、作品の大きさによっては小さなもの(B5サイズ)で4時間、今までやった最大サイズで25時間はかかるわ。 季節によってスピードが違うの。例えば、夏はハイキングなどで外出する機会が多くなるから作業する時間が短くなるけど、逆に冬や雨の日が続くと外出しなくていいので仕事もはかどるわ。

Q : 生計を立てるには不安があったと思います。それでもやってこれた理由とは何ですか?

 この仕事はお金のことを考えながらやっていたら出来ない。いつも自分のペースで仕事をしている。気持ちを込めて絵を描いているから、疲れているときは作業をやめて庭の手入れをしたり、散歩にでかけてたりしてリラックスするようにしているわ。だから、今まで試練にぶち当たったことがないし、苦労と感じたこともなければ、考えたこともないわ。

Q : 今後の展望、または新たなご計画などはありますか?

 クリスマスシーズンはいつも忙しいの。今、個人や企業から依頼が色々来てるけど、詳しい内容は秘密よ。今後、スイス連邦から仕事の依頼がきたらすごいと思うわ。あと、飛行機とかロジャーフェデラーに携わる仕事もできたら面白いかもね。

 制作依頼が増えて、今では依頼から受取まで2年待ちの状態。切り絵作品が徐々に売れるようになり、最も忙しいのは冬で、注文が殺到するとか。 その人気の理由には、彼女の手が撫でる繊細で優美な曲線。デザイン専用ソフトで仕上げてレーザーカットで描く曲線と、フリーハンドで描いてハサミで切った曲線とでは大きな違いがあります。このフリーハンドで描く作る手作り感が伝わるのではないでしょうか。

手作業が生む、繊細で優美な曲線

 カール F. ブヘラ(Carl F. Bucherer)社は彼女の切り絵に魅了された企業のひとつ。同社からガラスショーケース用に制作依頼を受けた彼女は、時計の複雑な内部構造を描写した直径約250cmの巨大作品を仕上げました。

 手で切る作業は実に200時間にも及び、これを原型にレーザーカットが施されています。これ以外にも、驚くほど繊細で精巧な彼女の6作品がガラスショーケース内に時計と共に展示されていました。

Q : 今までに影響を受けた方、尊敬する方はいらっしゃいますか?

 昨年(2016年)に91歳で亡くなった両親。何十年も連れ添った仲良し夫婦だったから、2人が居なくなって辛かったし寂しかったけれど「逝く時」がきたと思っている。両親から言われ続けたことは、「お金を求めてはいけない。健康で幸せを求めることが大切」。お金を持って天国には行けないからね。

 スイス人は「控えめで遠慮深い」、「謙遜してあまり多くを語らない」、あるいは「あまりいろいろな物を欲しがらず、現状で満足する」など聞いたことがあるかもしれません。彼女もその一人、彼女が描く切り絵からは「少欲知足」という言葉が蘇ります。取材を終えて、彼女は最後にこう言います。

これ以上望むものはない

 ヨーロッパでは比較的安全な国と言われるスイスで生まれ育ち、結婚して子供を授かり、今では孫までいる。私は母からこのようなギフトを授けてもらって、自分の好きな絵を描きながら生活ができて幸せだわ。これ以上望むものはないわ。


 この度はご協力いただき、ありがとうございました。スイス情報.comスタッフ一同、ゲルバーさんの益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

<取材及び掲載協力・お問い合わせ >
Scherenschnitte Esther Gerber
Mösli 141, 4938 Rohrbach
+41 (0)62 965 12 66
www.esther-gerber.ch

取材・撮影:Yuko Kamata
編集:Yuko Kamata, Yoriko Hess, Kayoko Nagano

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