ベルンのバラ公園に咲き続ける日本の心「ソメイヨシノ」

(2018年03月10日に公開された記事の再投稿です。)

 春といえば、卒業・入学・就職の季節。出会いと別れの経験と重なるため、桜は心を動かし、また、故郷を彷彿とさせる「春の象徴」のひとつとも言えるでしょう。

 スイスにも桜の名所があります。その1つ、ベルンのバラ公園に咲き続ける日本の心「ソメイヨシノ」についてご紹介します。

 

ヨーロッパで好まれる桜の傾向 

 春になると各地で一斉に咲き出す桜。ヨーロッパ諸国にも桜名所があり、その国ならではの見事な光景を見せてくれます。

 ヨーロッパでは淡いピンク色よりも、濃いピンク色の花を咲かせるの品種の桜を見かけることが多いのも事実です。

 その代表的な例がドイツのベルリン。1989年の壁崩壊後に始まったテレビ朝日の桜植樹キャンペーンでは、同市に八重桜やソメイヨシノなどの色々な苗木が送られました。そこで好まれたのは濃いピンク色の桜で、今日もベルリンのあちこちで桜が華やかに咲いています。

 

日本人によって寄贈されたソメイヨシノ

 バラ公園にある記念碑によると、これらの樹は、1975年4月10日に奈良県の蒲田善之という方がベルン市に100本の苗を寄贈し、同園に植えられたものです。

 同氏は、当時、奈良県で牛乳と蜂蜜を販売していた蒲田酪農会社の創業者。1946年に牛乳の販売を始め、その後、牛乳配達でおなじみの「東和牛乳」を広め、地元に酪農を定着させました。

 ところが、その25年後には明治乳業などの大手進出とともに小規模な酪農工業であった蒲田酪農も廃業へ追い込まれますが、幸いにも搾乳業だけは継続され、現在も明治乳業に出荷しているとか。

 そんな人生を歩んだ同氏が、なぜベルンにソメイヨシノを寄贈したのかという経緯は謎ではありますが、日本人によって寄贈されたベルンのソメイヨシノは、40年以上経った今でも見事に咲き続けています。

 

ソメイヨシノ、名前の由来と品種

 古来からのお花見の花と思われがちなソメイヨシノですが、実は、その歴史はまだ150年程度。明治維新直前の頃、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込周辺)で集落を作っていた造園師や植木職人たちが、エドヒガシ種とオオシマザクラ種と交配させて生まれた新種です。

 桜の名所として、万葉の時代から名高い奈良県の吉野山にあやかって、「吉野桜」という名で売られ、文明開化真っ只中の日本にその名が広まっていきました。

 その後、奈良産ではないことを明示するためと、吉野山に多いヤマザクラ種との区別をするために、1901年より原産地名を取り入れて「染井吉野」に改名されました。また、近年の遺伝子の解析結果などでは、ヤマザクラ種のDNAも含まれているというデータが出ているそうです。

 

ソメイヨシノの繁殖法とは?  

 ソメイヨシノは同種同士ではなく、多種との交配のみで結実するので、ソメイヨシノの種を育てても、それはもうソメイヨシノではなくなってしまいます。ではどうやって増やすかですが、接木(つぎき)か挿し木(さしき)による人工的な繁殖をしていくしかありません。

 ソメイヨシノの寿命は短く、長くて60年程度と言われていました。しかし、それは車道沿いなど、生育環境のあまり良くない場所に植られたものが早く枯れしてしまうケースが目立つだけで、品種として短命ではないとする説が強くなってきました。また、日本では既に樹齢100年を超えているものも確認されています。

 蒲田氏から寄贈されたソメイヨシノは100本でしたが、現在はその半分もありません。まだまだ、眺めを楽しむには十分な花の量ですが、ベルン市には、今後、ソメイヨシノが長生きできるような生育環境の維持や繁殖方法などを検討してもらいたいところです。

 

ベルンに咲き続ける日本の心

 ベルンのソメイヨシノは斜面に植えられているために、日本のように桜の樹の下にゴザをひいてのお花見はできませんが、満開のソメイヨシノとその向こ うに見える旧市街とが重なった、風情溢れるその姿が見る人の心を和ませます。

 それを知っているスイス在住の日本人にとっては、ベルンの桜が満開と聞けば、天気の良い日を見計らって、バラ公園で春の訪れを楽しむのが春の定番となっています。

 

 桜の開花は不安定な気象事情にもよりますが、 通常4月初旬から中旬です。時間帯やお天気、何分咲きかによって違う一面を見せてくれるため、ワンシーズンに何度お花見をしても飽きないという点も魅力的。

 園内には桜だけでなく、モクレン、クロッカス、水仙などの美しい花々が一斉に咲くので、ぜひ春の訪れをこのバラ公園で祝ってみてはいかがでしょうか。

過去のソメイヨシノの動画

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