【チャールズ・チャップリン特集】人生の悲劇を喜劇へ変えた喜劇王

Charlie_Chaplin_204_NEG

 この世界は、偉人と呼ばれる天才たちを数多く輩出してきました。彼らの華々しい成功の裏には必ずと言っていいほど、多くの苦難や挫折があります。そんな逆境を乗り越えた彼らが遺した言葉は、「名言」として幾世を経てなお語り継がれています。

 人々の胸の奥底に深く響くメッセージは、幸せな時間にはもちろん、辛いとき、悲しいときにこそ私たちに近しく寄り添い、疲弊した心を癒し、奮い立たせてくれるものです。

「喜劇王」の異名を持つチャールズ・チャップリンも、世界に名を馳せる天才のひとり。

 2019年は、チャップリン生誕130年の記念すべき年に当たります。彼が遺した数々の名言と生涯、ユニークな関連情報から、世界に一つしかないミュージアム「チャップリンズ ・ワールド(Chaplin’s World)」までを一挙にご紹介しましょう!

   【目次】

   チャップリンについて
| チャップリンとは?

Charlie_Chaplin_City Lights©RoyExport S.A.S-2

 トレードマークのちょび髭に山高帽をかぶり、ステッキ片手にガニ股歩き…。時代を超えて世界で愛され続けているこの「放浪紳士」は1889年4月16日、イギリス・ロンドンで誕生しました。

 本名サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン(Sir Charles Spencer Chaplin KBE)。「チャーリー」の愛称で親しまれ、映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、さらには作曲家としてマルチな才能を発揮。サイレント(無声)映画全盛期に活躍し、「世界三大喜劇王」のひとりに数えられる名優にまで上りつめます。

 彼は1914年のハリウッドデビュー以来、生涯81本もの作品をこの世に生み出しました。 代表作には「黄金狂時代(The Gold Rush)」、「モダン・タイムス(Modern Times)」、「独裁者(The Great Dictator)」、「ライムライト(Limelight)」など。

| 知っておくべき5つの事実
  1. 壮絶で悲惨な生い立ちから、一般大衆の生活や想いをよく理解している。世界的スターになってからも、庶民の怒りや悲しみを作品の中に見事に織り込み、喜劇映画界に革命をもたらしたとされる。
      
  2. 身体の動きと顔の表情で表現する、サイレント映画にこだわり続けた。彼の無声映画は、台詞がないからこそ観る者の想像力を喚起させ、国内外問わず、世界中の観客の心を動かしてきた。
      
  3. 日本人マネージャーの影響からか、歌舞伎や相撲、そして日本食を愛した大の親日家。日本橋にあった「花長」でエビの天ぷらを30尾以上も食べたことから、「天ぷらマン」とあだ名されたという。また、チャップリンが愛用したあの有名なステッキは、日本の滋賀県草津市で作られた竹根鞭細工である。
      
  4. 一切の妥協を許さない、業界随一の完璧主義者として有名。「街の灯(City Lights)」では、盲目の花屋の娘に出会うシーン(約1分)に1年以上の歳月をかけ、450回のNGを出して撮影したという逸話も残る。
      
  5. チャップリンが生きていたのは、「戦争の世紀」とも呼ばれる激動の時代。戦時下で命の危険も顧みず、反戦を訴える作品を世に出したハリウッドで唯一の映画監督である。
| なぜ、チャップリンの言葉が響くのか?

Charles_Chaplin-2789-2

コミカルな表情や動きで人々の笑いを誘うチャップリン。彼には、アルコール依存症の父親、精神病院に収容された母親を持ち、救貧院等の施設を転々とする壮絶な極貧生活を送った苦難の過去がありました。こうした経験から、彼の作品はドタバタ喜劇に悲劇性を組み込み、ユーモアの影に切れ味の鋭い社会風刺が織り交ぜられているといわれます。

その時代の庶民同様に社会の在り方に強い憤りや悲しみを覚え、映画という、当時では斬新な手段で巧みに表現したのです。

人間の尊厳という深いテーマと真摯に向き合い続けた彼のメッセージは、むしろ現代社会において、圧倒的な説得力を有しているといえるかもしれません。

彼の言葉が多くの人々の共感と感動を呼ぶのは、茨の道を歩む中で得た、その人生訓が込められているからに違いないでしょう。

 数ある中で、おそらく最も有名な作品が1940年にアメリカで公開された「独裁者」。チャップリン初のトーキー(有声)映画で、当時のヒットラー政権を痛烈に批判しています。ラスト6分間に及ぶ演説シーンは、賛否両論を呼んだものの、映画史に残る名場面として今もなお語り継がれています。チャップリン演説 “独裁者”- Chaplin Speech “The Great Dictator”

| 偉人との交流

Charles_Chaplin-2920-4

 映画監督、脚本家、作曲家など多種多才な顔を持つチャップリンは、実に幅広い人脈を築きました。その中には、理論物理学者アルバート・アインシュタインをはじめ、ウィンストン・チャーチル元英首相、ピアニストのクララ・ハスキル、フランスの芸術家ジャン・コクトー 、周恩来元首相などなど、歴史に名を残した偉人たちもいます。

《チャップリンとアインシュタインの伝説》
 チャップリンが「街の灯」のプレミア試写会にアインシュタインを招待したことがきっかけで交流を持つようになった二人。食事を共にしていた席でのアインシュタインのセリフと、チャップリンの返事が洒落ています。

 「チャーリー、僕が君の芸術に対して一番称賛していることはユニバーサリティ、普遍性だよ。君は何もしゃべらないのに、すべての人たちは君の言いたいことを理解している。すごいことだ。」

 「まあ、それもそうかもしれない。けれど、アルバート。君はもっと素晴らしいよ。なぜなら、世界の誰も君が何をしているか知らないのに、君を称賛している。これ、素晴らしくないかい?

| 日本文化への影響
Charlie_Chaplin_©Roy ExportCompanyLimited_613

 大の親日家としても知られるチャップリンは、日本の伝統芸能にも大きく影響を与えました。木村錦花氏が「街の灯」を歌舞伎の世話物として脚色・翻案した「蝙蝠(こうもり)の安さん」が、昭和6年8月(1931年)に歌舞伎座で上演されています。

 記憶に新しいところでは2014年7月、俳優の綾野剛を起用し、チャップリンの肉声をのせたテレビCMが放送されました。使われたのは、あの有名な「独裁者」の演説シーン。放送直後から心に響くと話題を集めたこのCM、ぜひご覧ください!

 TV番組の企画で晩年のチャップリンをスイスに訪ねた萩本欽一、日本チャップリン協会名誉会長を務める黒柳徹子、「さよなら、さよなら」の挨拶で有名な映画評論家・故淀川長治など…。チャップリンのファンは日本の芸能界の重鎮に多いことも、よく知られている事実です。

| チャップリンの名言5選(作品別)

 数々の傑作を生み出したチャップリンの作品には、多くの名言が残されています。逆境や悲劇に直面したときは希望や勇気を与えてくれ、人生の岐路に迷って立ち往生しているときは道しるべになってくれる…。

 そして平和や人間の尊厳を脅かす争いに対する、私たちの強い怒りや悲しみを代弁してくれるメッセージの数々。チャップリンが紡いだ心に深く響く名言を、作品別に5つ厳選してご紹介しましょう。

  1. 下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ。
    (You’ll never find a rainbow if you’re looking down.) サーカス(1928年)

  2. 明日になれば、鳥も歌うよ。
    (Tomorrow the birds will sing.) 街の灯(1931年)

  3. 私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。(We all want to help one another, human beings are like that. We want to live by each other’s happiness.Not by each other’s misery. We don’t want to hate and despise one another.) 独裁者(1940年)

    私の声が聞こえている人達に言う。『絶望してはいけない』。
    (To those who can hear me I say “Do not despair.”)

  4. 1人殺せば悪党で、100万人殺せば英雄になる。数が殺人を神聖化する。(One murder makes a villain; millions, a hero. Numbers sanctify.) 殺人狂時代(1947年)

  5. 人生は、恐がりさえしなければ素晴らしいものになる。人生に必要なものは、勇気と想像力。それとほんの少しのお金だ。
    (Life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it takes is courage, imagination… and a little dough.) ライムライト(1952年) 

| チャップリンのオススメ映画の紹介

 ドタバタ喜劇中心の初期の作品から、「黄金狂時代」、「モダン・タイムス」、「独裁者」など映画史に残る傑作、そして波瀾万丈な人生を綴った自伝まで、ぜひ一度は見てほしい、読んでほしい!おすすめの作品をご紹介します!

1. チャップリン・ザ・ルーツ(傑作短編集)
 デビューから4年間のルーツを探る初期傑作短編集。全63作品を完全デジタルリマスター化しています。日本オリジナルの特典満載、豪華13枚組DVD-BOX!

2. 喜劇の王様・チャップリン大全集

 ちょび髭にドタ靴、ステッキ…お馴染みの衣装での初登場作品など、初期の短編映画全24作品を収録。喜劇王の世界観をお手頃価格で堪能できるDVDです!

3. チャップリン

 「黄金狂時代 」、「モダン・タイムス」、「独裁者」、「ライムライト」などの代表作を完全収録した決定版。山寺宏一など、日本を代表する声優陣による吹替音声も収録!

4. チャップリン プレミアム

 初期短編を収めたDVD BOXセット。ハリウッドデビュー作や、放浪紳士チャーリーが誕生した伝説の映画「ヴェニスにおける子供自動車競争」も収録!


| チャップリンのカクテル

  喜劇王の名がついたカクテル「チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)」をご存知ですか?

  チャップリンと同じくイギリス生まれの、スロージンと呼ばれる西洋スモモのリキュールを使用。杏の甘い香りが特徴のアプリコットブランデーとレモンジュースを加え、爽やかな香りと甘酸っぱい口当たりが楽しめる一杯です。自宅でチャップリン映画を鑑賞しながら同名のカクテルをゆっくりと味わう、贅沢な大人の時間を楽しんでみては?

【作り方の手順】

  「チャーリー・チャップリン」の詳しい作り方の手順は、こちらの動画をご覧ください。Cocktail Recipes / How to make a Charlie Chaplin

  こちらは「チャップリンのスケート」でのバーテンディングシーン。 チャップリンがカクテルをシェイクしている様子が見られます。

| チャップリンズ・ワールド(Chaplin’s World)

チャップリンが終の棲家として選んだのは、スイス・コルシエ=シュル=ヴヴェイ (Corsier-sur-Vevey)の邸宅「マノワール・ド・バン(Le Manoir de Ban)」。127回目の誕生日にあたる2016年4月16日、この特別な場所にチャップリンズ・ ワールド(Chaplin’s World)が誕生しました。

Chaplins_worlds_top

 構想に約15年をかけ、名作映画のセット再現、多数の貴重な資料や写真の展示、映画上映など、チャップリンの世界観を楽しめる見所を満載。館内に一歩足を踏み入れた瞬間から、観客は波乱に満ちた88年の生涯の知られざる一面を追体験することになるでしょう。

 世界で唯一無二のミュージアムの魅力をご紹介するとともに、偉大なるチャップリンの生き様を紐解いていきます!

【動画】 チャップリンズ・ ワールド ハイライト

チャップリンが晩年の25年間を家族と過ごした邸宅は、敷地全体がミュージアムとなっており、3つの構成で成り立っています。

① スタジオ(The Studio)

邸宅に隣接する1350㎡の新館「スタジオ」では、チャップリン映画の世界を存分に堪能できます。

 20本以上の映画に登場しているチャップリンの故郷、ロンドンの通りを模したT字路のストリートセットをはじめ、「モダン・タイムス」の機械仕掛けや「黄金狂時代」の山小屋など、名シーンを再現した数々の撮影セットが展開。Charles_Chaplin-2783

スタジオと邸宅では、フランスのグレヴァン蝋人形館(Musée Grévin)の協賛で作られた約30体の蝋人形が迎えてくれます。

② チャップリン邸(The Manoir)
約500㎡の邸宅にはチャップリン生存当時そのままの調度品が展示されており、1977年のクリスマスに生涯を閉じるまでの、家族との幸せな暮らしぶりを垣間見ることができます。Charles_Chaplin-2966

交流があった著名人の写真展示室もあり、各部屋からは美しい庭園と、彼の愛した名峰ダン・デュ・ミディ山(Dents du Midi)が一望です。

③ 庭園(The Park)Chaplins_worlds_133

美しく整備された広大な庭園では、チャップリンのドキュメンタリー映画にも登場する有名な小道を散策することもできます。

 最後の妻ウーナ・チャップリン(Oona Chaplin)と連れ立って、よく歩いたとか。Charles_Chaplin-restraunt

またミュージアム鑑賞後や散策後の休憩には、敷地内にあるカフェレストラン「ザ・トランプ(The Tramp)」がおすすめ。映画「モダン・タイムス」をイメージして作られた、ファンにはたまならい空間です。

| 幼少期Charles_Chaplin-2691

ミュージックホールの俳優であった父親はアルコール依存症になり、チャップリンが1歳のときに両親は離婚しています。

 その後は母子家庭で育ちますが、母親は過酷な極貧生活による栄養失調や離婚後の不安・寂しさが原因で精神に異常をきたし、1896年ごろ施設に収容。チャーリー少年は孤児院等を転々としなければなりませんでした。Charles_Chaplin-2682

辛い幼少期を過ごしたチャップリンですが、母親のことを「インスピレーションの源」と自伝に記しています。母ハンナ・チャップリン(Hannah Chaplin)は、彼の心に3つの火を灯したといわれています。

それは、愛・慈悲の心・人間の心この3つはチャップリンの長きにわたる映画制作において、大きな役割を果たしました。※スタジオにはその母の蝋人形も設置されています。

| 5歳でデビュー

Fred_Karno-3舞台デビューは、チャップリン5歳の時でした。突然声が出なくなった舞台女優の母親に代わり、チャーリー少年が急遽ステージに登場。歌って踊り、さらには客が投げた賽銭を拾う必死な姿が大喝采を浴びました。

 1899年、9歳で木靴ダンスの一座「エイト・ランカシア・ラッズ(The Eight Lancashire Lads)」に入団。19歳で名門フレッド・カーノー劇団(Fred Karno)に入り、演技を磨いていきます。Charles_Chaplin-2734

1913年、2度目のアメリカ巡業で、喜劇映画の製作者として活躍していた映画プロデューサー、マック・セネット(Mack Sennett)のスカウトの目に留まり、キーストン・スタジオに入社。翌年の「成功争ひ(Making A Living)」で初主演を掴み取り、銀幕デビューを飾りました。

| 小さな放浪者の誕生からスターへCharles_Chaplin-2748-2

映画デビュー同年の出演2作目は「ヴェニスの子供自動車競走(Kid Auto Races at Venice)」でした。

 アイデアに苦慮していたセネット監督を助けたいと、衣装部屋に駆け込んだチャップリン。無数の衣装の中から、山高帽にキツい上着とだぶだぶのズボン、ドタ靴を選び着用、さらにステッキを片手に持ち、現場に戻ります。

貧しいながらも人間としての誇りを失わない、「放浪紳士チャーリー」誕生の瞬間でした。その独特なルックスは瞬く間に注目を浴び、当時の映画界で確固たる地位を築くきっかけとなります。

 所属映画会社の看板俳優となったチャップリンはこの年、長編・短編合わせて36本もの作品に出演を果たし、スター街道を邁進していくことに。

| 暗殺の危機

Charles_Chaplin-inukaiチャップリンの初来日は、1932年5月14日。世界の喜劇王の姿を一目見ようと、大勢の群衆が東京駅に詰めかけました。翌日には、歓迎会が首相官邸で開かれる予定でした。

 その日、1932年5月15日…。武装した海軍の青年将校たちが当時の犬養毅首相を暗殺し、日本を震撼させた「五・一五事件」が勃発します。

  実は、この歴史的大事件の裁判記録によれば、首相官邸の招待客もろとも、チャップリンの暗殺も企てられていました。一足先に来日していた日本人秘書、高野(こうの)虎市氏は懇意の軍関係者から事前に重大情報を入手。その機転で、相撲観戦を理由に歓迎会を直前にキャンセル、会は16日に延期に。チャップリン側(高野氏)が躊躇しため、その開催は確定していなかったとされています。Charles_Chaplin_and_Sumo_wrestlers_1

(右より玉錦、高野虎市秘書、チャールズ・チャップリン、武蔵山、実兄のシドニー・チャップリン、清水川)1932年7月

再び裁判記録によれば、暗殺の首謀者は法廷で「予定された歓迎会が未確定と知り、チャップリン暗殺を放棄した」と証言。こうして日本人秘書の活躍により、間一髪、最悪の事態は免れたのでした。

 チャップリンの自叙伝には、「犬養首相の子息、犬養健氏の招待で相撲観戦中に首相の暗殺が伝えられ、その後一緒に現場へ行った。翌日には首相官邸で開かれるレセプションで首相に会うことになっていたが、取り消しになった」と記されています。

| 世界三大喜劇王へ

Charles_Chaplin-2819チャップリンは1914年に伝説的な「浮浪者」のキャラクターを生み出し、わずか2年後には当時のアメリカ大統領の7倍の年収を稼ぐまで、喜劇俳優として不動の地位に上りつめます。Charles_Chaplin-2791-2

そして1918年、チャップリン28歳の時に、ハリウッドのラ・ブレア・アベニュー(La Brea Ave.)に念願であった自身の撮影スタジオ(現在のThe Henson Soundstage)を建設。1952年にアメリカを強制退去させられるまでの約35年間、「キッド」や「モダンタイムス」、「街の光」、「ライムライト」などの大傑作をこのスタジオで生み出しました。

こうして一躍トップスターとなったチャップリンには、サイレント映画全盛期に活躍した大スター、バスター・キートン(Buster Keaton)、ハロルド・ロイド(Harold Lloyd)と並ぶ「世界の三大喜劇王」の称号が与えられます。

| スイス移住のきっかけ

Charles_Chaplin-2810チャップリンは上流社会や資本主義、戦争・ファシズムへの批判を堂々と映画に組み込んでいました。アメリカ政府はかねてから、チャップリンの作風は国民意識や市民感情に影響すると恐れを抱いていました。特に「独裁者」や「殺人狂時代」に明確に盛り込まれた反戦・平和への強烈なメッセージは、当時のアメリカ政府や一部国民の逆鱗に触れてしまいます。Charles_Chaplin-2828

さらに第二次世界大戦終結後の東西冷戦を背景に、ハリウッドには赤狩りの嵐が吹き荒れました。多くの戦争反対を示した芸術家が国外退去させられ、チャップリンも例外ではありませんでした。多くの国民の抗議もむなしく、前述のとおり事実上の国外追放命令を受け、永世中立国であるスイスへと移り住んだのです。

| 家族と過ごした幸せな晩年Chaplins_worlds-2943

5歳から働き続けたチャップリンは「仕事は人生の喜びだ」と言い、移住してからも脚本を書き続けました。36歳も離れた4番目の妻、ウーナ・チャップリンとの間には、8人の子どもを授かりました。Chaplins_worlds-2936

雄大なアルプスと湖の絶景が広がる白亜の邸宅で、晩年の25年間、家族と幸せな時間を過ごした喜劇王。1977年のクリスマスの朝、ウーナ夫人と8人の子どもたちに囲まれながら、ひっそりと88年の生涯に幕を閉じました。就寝中に息を引き取るという安らかな最期だったといいます。

 チャップリンはその没後14年、66歳で亡くなった愛妻ウーナと一緒に、コルシエ=シュル=ヴヴェイの共同墓地で眠っています。

実はチャップリン逝去の翌年3月2日、金銭目的でその遺体が棺ごと盗まれるという事件が発生しています。犯人は逮捕され、遺体は墓地から約17キロ離れたレマン湖畔のトウモロコシ畑で無事発見されました。

 この事件から着想を得た映画「チャップリンからの贈りもの」は2014年の公開。チャップリンの息子ユージン・チャップリン(Eugene Chaplin)や孫娘のドロレス・チャップリン(Dolores Chaplin)も出演しています。ロケ地には、チャップリン一家が晩年に住んだ実際の邸宅や墓地が使われました。


| 日本語ガイドサービス

Chaplins_worlds_120世紀の喜劇王の人生や作品を紹介するミュージアム「チャップリンズ・ ワールド」では、ガイドツアーも開催されています。

 公式通訳ガイド(日/英/仏)を務めるシュルモリ なつみさんによる日本語でのガイド見学が可能。チャップリンに精通した専門ガイドによる日本語での解説を聴きながらミュージアムを巡れば、チャップリンの魅力や世界観をより深く知ることができるでしょう。

 ここでしか聞けない撮影秘話や数々の逸話などもあり、ファンに嬉しい内容です!

| ガイド料金とご予約方法

Charles_Chaplin-2633ガイド付き見学料金 90分160フラン (約17,000円) 1名〜最大20名まで案内可能。 なお、ガイド付き見学料金には別途入館料が必要です。ガイド付き見学を希望する場合、見学の15日前までに予約が必要です。入館料や予約方法はこちらをご覧ください。

| まとめ

Charles_Chaplin-2937戦争を憎み、平和を愛した誇り高き喜劇王、チャールズ・チャップリン。彼は社会の闇に対し、ユーモアを武器に勇敢に戦い続けました。波瀾万丈な人生を送った彼が生み出した映像とメッセージは、時代を超え、国境を超え、今なお色褪せず魅力を放ち続けています。

 何千人、何万人もの大衆の心を動かしたチャップリンの言葉は、きっと、もう100年経っても語り継がれ、多くの人を救い続けていくことでしょう。Charles_Chaplin-2969

いま私たちが直面している困難や逆境は、長い人生の中では一つの通過点。道を塞ぐように覆いかぶさっているように見えても、必ず出口があるはずです。暗闇の中でこそ、足元を見つめ直してみましょう。本当に大切なもの(=光)は、暗闇でこそ見つけやすいものです。

 「必ず明るい未来が待っている」と信じて、諦めずに歩んでほしい。

そう、彼が言ったように…。

“人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ” 
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.― Charles Chaplin

 

▲ トップへ戻る


取材協力:
logo-chaplins-world

Chaplin’s World
Route de Fenil 2 1804 Corsier-sur-Vevey
www.chaplinsworld.com

執筆・編集:Chika Bless, Yuko Kamata
撮影:Yuko Kamata


コメントを投稿する