不変の郷土愛とジュネーヴ共和国の誇り、エスカラード祭

 毎年12月、ジュネーヴでは「エスカラード祭(Fête de L’escalade)」が開催され、その象徴となっているチョコレート製の丸鍋が期間限定で売り出されます。

 今月のコラムでは、ジュネーヴ市民が中世の姿に衣替えし、外国人も含めて市民全体が毎年楽しみにしている、州をあげてのこの大きな年次行事をご紹介します。

| ジュネーヴの12月はチョコレート製の丸鍋が出回る?

 毎年、12月11日前後の金曜を含む週末3日間にわたって催され、2017年は12月8日から12月10日の開催となりました。例年通り、ジュネーヴ市庁舎やサン・ピエール教会(Cathédrale Saint-Pierre)がある旧市街と、その周辺一帯がメイン行事の開催場所となり、市内の至るところでコンサートや展示など様々な関連行事が行われます。

 このお祭りの起源は、1602年12月におこった、当時のジュネーヴ自治国の存続が脅かされた大きな出来事にあります。このお祭りの象徴となっている季節限定のチョコレート製の丸鍋も、その史実にちなんだもの。祭りの名称「エスカラード」とは、フランス語で梯子などを「登ること」を意味しますが、こちらもこの歴史上の出来事が由来です。

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| 祭りの起源、ジュネーヴが戦いで守ったものとは?

 時を遡り、15~16世紀の欧州はカトリックとプロテスタントが対立する宗教革命の時代で、領土紛争も頻繁でした。共和制自治国であったジュネーヴはカルバン指導のプロテスタントの拠点でもありました。

 その背景のもと、今のフランス南東部に位置するカトリック派を支持していたサヴォア公国のチャールズ・エマニュエル公(duc de Savoie, Charles-Emmanuel)が、ジュネーヴを支配下におさめようと画策していました。

 1602年12月11日、サヴォア軍は2000名の兵士を派遣し、ジュネーヴ人が寝静まった夜遅い時間を狙って奇襲攻撃をしかけました。当時、ジュネーヴ共和国の領域は高い塀で囲まれていたため、「梯子作戦(エスカラード)」と呼ばれたこの奇襲で、サヴォア軍は現在の旧市街周辺から城壁を登って攻め込んだのです。

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 ジュネーヴ兵に加え、武器を取って敵兵に立ち向かった市民のなかに、ロワイヨム夫人(Mme Royaume)がいました (本名:カトリン・シェイネル Catherine Cheynel)。このロワイヨム夫人は、その夜はまだ寝ないで料理中だったのですが、梯子をかけて塀をよじ登ってくる敵兵をみつけるなり、建物の上階から料理中の丸鍋、マルミット(marmite)の煮えたぎる熱いスープをその敵兵めがけて放り、梯子から地面に叩き落としたのです。

 この戦いは翌12日の早朝まで続き、総力を挙げて立ち向かったジュネーヴは18名の死者が出たものの、サヴォア軍を返り討ちすることに成功したと記録に残っています。サヴォア軍の勢力を考えると、まさに序盤戦で深刻な侵入を封じ込めたことが伺えます。こうしてジュネーヴの独立と誇りは守られ、その数年後には現在のスイス連邦に属することになりました。

 当時のジュネーヴに浸透していたプロテスタントの教えと文化には男女の平等はありませんでした。親しみを込めた愛称で呼ばれる「ロワイヨム母さん(La mère Royaume)」のその勇気ある行動が、ジュネーヴの歴史を通して語り継がれることとなったのは当然の結果といえるでしょう。

| エスカラード祭の見どころ

 金曜の午後、空砲の銃声とともに幕が開くエスカラード祭の見どころはいくつかあり、まず初日夕刻に、1602年の戦いで命を落とした18名のジュネーヴ人に対する敬意と追悼の式典がサン・ピエール教会で開かれます。

 土曜はお昼前から夜まで、1602年を思わせる民族衣装や鎧・武具で当時の民衆や兵士などに仮装した市民が、市街の広場など数ヵ所に集まって史実に基づく数場面を再現します。

 お祭りに向けて準備してきた方々による野外劇場さながらの演技には、深く見入ってしまうかもしれません。夜には、市民たち一人一人が提灯を手にして行進する仮装行列もあるので、こちらもお見逃しなく。L'Escalade festival-0909

 そして、日曜の夕刻から3時間かけて行われる伝統仮装パレードで、祭りの目玉ともいえるのが「エスカラード史大行列(Grand cortège historique de l’Escalade)」。史実に沿って仮装した約800人と騎馬隊が市街をゆっくりと行進し、出発地点を含む計6ヵ所で、かの戦いを想起しつつ史実の意義を代表者が表明します。

 1926年に始まったとされるこの大行列ですが、例年、フィナーレでは大かがり火が焚かれるので、心も体も温めてくれることでしょう。さらに、大行列の終点であるサン・ピエール教会では、聞き逃せない「州歌」のコーラスも披露されます。

 スイス国歌とは別のこの州歌は、まさにエスカラードの史実が内容となっていて、「ジュネーヴ共和国」の独立を守り抜いたジュネーヴ人の誇りと郷土愛が込められているのです。(州歌名:「Cé qu’è lainô」、現代フランス語で「Celui qui est en haut」、直訳「高所の者」)

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 また、エスカラード祭でぜひとも訪れたい秘密の場所、「モネティエ通り(Passage de Monetier)」。中世、ジュネーヴ領土が城壁で囲まれていたころ、監視にあたる兵士らが城壁周辺の要所に迅速に移動するための狭い秘密の通路です。モネティエ通りの写真はこちら

 普段は鉄格子で封鎖されているのですが、この祭りの期間のみ開放され、土曜と日曜の午前10時から午後にかけての数時間だけ、史実を想像しながら通ることができるでしょう。

| エスカラード祭のおいしいシンボル、ロワイヨム母さんの丸鍋

 「エスカラード祭」に欠かせないものが、ロワイヨム母さんの「マルミット(丸鍋)」。祭りが近くなると、1602年の史実にちなみ、同州の紋章が入った大小様々なサイズの丸鍋型のおいしいチョコレートが市内にあるチョコレート店やスーパー、デパートなどで季節限定で売り出され、開催期間中にしか食べられないものを食べるのも、この祭りの楽しみのひとつ。マルミット・チョコレートの写真はこちら

 小さなサイズのものを除き、チョコレートのマルミットの中にはキャンディや野菜をかたどったミニ菓子、包み紙を両端に引っ張ると「パンッ」と鳴る小さなクラッカーなどがいくつか入っていて、重量感のある、リッチなチョコレートです。

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 また、祭りの屋台などでは、モルドワイン(甘味・香料を加えたホットワイン)や、ロワイヨム母さんが敵兵に投げつけたとされる野菜スープが再現されて配られ、市民は当時のジュネーブ人のように舌鼓を打ちます。

 お祭り終了後に、マルミットを叩き割って食べるのが慣習となっています。同州生まれのスイス人で、会社員でもあり小学校に通う一女の母でもある、タマラ・ローリングさんはこの慣習についてこう語ります。

 エスカラードは公立学校にもしっかりと根付いた大切な祭りだから、祭り期間の金曜日は生徒も教員も中世の衣装で仮装して学校に行くことが認められているの。ロワイヨム母さんのスープを飲んで、祭りが終わると同時にチョコレートの鍋をたたき割って、家族や友人と食べるのが毎年とても楽しみだわ」。

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<お問い合わせ>
Compagnie 1602
Case postale 3124, 1211 Genève 3
e-mail: info@1602.ch
http://www.1602.ch(仏語)

ジュネーブ市役所(Ville de Genève)
www.ville-geneve.ch

撮影:Yuko Kamata
編集:Kaz Fujii

 


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